ここひとつきくらいだろうか、荒れに荒れた生活を一念発起して整えはじめた。そうしたら頭のなかがそれに支配されて読むことからも書くことからも離れてしまっていたのだ。
私はなんでも極端で、そして夢中になる性質なので、次のそうじ箇所や断捨離やごみ捨てやリサイクルショップへの持ち込みやフリマアプリでの売却や料理のレシピや献立計画や効率的な買い出しや下味処理や子供との遊び時間の確保や、もろもろのことで頭がいっぱいになってしまった。
そうなるとまず本を読めなくなる。時間的にもそうだが本を読みながらもレンジの掃除がしたくなったり寝転んでいればストーブの下のほこりが気になったりして集中できないのだ。それでダイソーに行ってハエたたきみたいな形状の薄いハンディワイパーを買ったりする。(これはめちゃくちゃおすすめです)
そして読まなくなると今度は書く方の創造力も鈍くなってきて、書きたいネタはたくさんあった筈なのに腰が重くなって一文字も書けなくなるのだ。恐ろしい。読まない、書かない、なんていままでの生活では考えられなかったのに。
ただまあ、毎日鬼のように掃除と整理収納をしているとだんだんと日々の家事ルーティンは決まってくるので、すこし時間と頭に余裕が出てきた。余裕が出てきたその隙間に何をするか、創作だろ、読書だろ、と思うのだがなぜかおやつ作りだ。なお私のおやつ作りは適当、簡単、時短、材料最小限、なので別に映えないし特別美味しいわけでもない。なけなしの創作意欲をなぜかばあちゃんが適当につくったおやつみたいなものに割り振っていた。
そうしつつも創作が全然できていないことに焦ってはいたので、コネタを考えたり先のスケジュールを作ってみたりはして気分の変わるのを待った。待っていたら、昨日突然集中して本を読めたのだ。途中皿洗いはしたけどそれでも久々の「読む」は最高だった。そして「書ける」と思った。
一応生活者でもあるし、親でもあって、子供はもろに親である私の生活の影響をうける。そこを両立して書いている人はたくさんいる。働きながら書いている人も、当たり前に多数。
私も、無理のでない、いい塩梅のバランスを見つけて創作をやっていきたい。それが長く書き続けるためにも重要だと思うから。
と、ひよっこ書き手は思うのでした。
0コメント