創作している人大抵そうかなと思うんですけど、自分の感覚がちょっと違うな、面倒な性格だな、なんか無駄なところに日々エネルギー使って疲れてんな、と思うようなところがありませんか。困った人間だな〜自分、重いな〜自我。って。
そんな面倒くさい己の人格が、いざ創作となると生きるというか、強みになってしまうみたいな。それで今までの人生における損してる感がチャラにまではならないまでもOK出されてる感じがするみたいな。あると思うんですよね。そしてそれはとても気持ちが良い。
大別すればそれは悪い事ではないと思うんですが、創作の喜びの核にそれが居座ってしまうとなんとなく健康的でない感じがするというか、持続可能じゃなくなっていく気がするんですよね。かっこいいけども、書かないと生きていけないんですみたいなの、言えたらかっこいいけども。
第一線の作家さんだと、一日何枚書いたらやめるとか、執筆時間を決めて定時勤務の形にするとか、そういう方も多いですよね。その距離感ってとてもいいなと思うし、だからこそ書き続けていられるのかなという気もします。まあ単純に書いている時間だけが労働時間じゃないから、他のことをしている時も、何もしていないでぼうっとしているように見える時も、街を歩く時も、人と会う時も、結局話を考え続けている。またはネタを探し続けている、という人がほとんどなので、労働時間で区切れるもんでもないですけど。とりあえず表に見える態度としてはドライな距離感です。
でもまあなかなかその境地には至れないし仕事としてやっているわけでもない。常人にはなかなか難しいです。
かといって完成したときの興奮や、人から感想を頂いたときの喜びを核にするのも、副次的なものに依存する感じで心もとない。
出来上がるものというのは山を踏破したときのご褒美ではあるんですけども、それは結果として得られたものであって、過程に意義を見出さないと闇雲に完成を焦ってしまったり、早くその景色を見たいがために完成までに無理をしてしまったり(これやりがちな自分)します。感想も言わずもがなで、依存するな……ッ、そんな不確定なものに……ッ。という気持ちです。
なので、過程を楽しむことが大事なのかなっていうありきたりな結論に至るんですけど。時に五合目まで登ってルート変更で引き返すことになっても、また別の景色が見えるよねみたいな。それで自分の技術も上がれば嬉しいよね、くらいの。
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