西村賢太『蝙蝠か燕か』を読んだ

 記事にまとめるとなると真面目に感想としての体を成していないとならないような気がしてしまい避けてきたのだが、Twitterのツリーではそこそこ長くなりそうだし、雑誌社のエゴサでキャッチされてRTされてもどうも頓珍漢な感想が人目に晒されるのは恥ずかしいのでここに書く。

 私小説家北町貫多という主人公が不遇の?小説家藤澤清造(造は二点しんにょう)の歿後弟子を自称して毎月墓参し、全集刊行を目指して作品を収集し、大手の出版社から単行本を出すよう奔走し、という話なんですが抜群に面白くてなんでこんなおもろいんやと思ったので面白さをまとめとこうかなと思った。

 まず寡聞にして知らなかったのですが、主人公の北町貫多が作者の西村賢太氏なんですね。藤澤清造氏も架空の小説家かと思って読んでました。田中英光氏のくだりでおや?とは思ったんですが、出版社名も雑誌名も現実のものが出てくるので、そんなもんかなと思ったまま詠み終えたんですね。読了後に検索したらすぐ藤澤清造氏が出てきた。そも西村氏も名前だけ存じていたレベル。そんなアホが書く感想です。

 書かれる言葉がまあ難しくて古くて、何度も辞書を引いたんですけど、それが作者の元からの文体なのかは存じません。傾倒する藤澤清造の小説の世界にひたり続けている主人公・北町の思考と合っていていいなあと思いながら、つっかえつつ読み進めていくと、ふとしたところに雑な口語が入るんですね。それがなんとも面白くてじわじわくる。

 「ネチネチと行っていた」「ドサクサ紛れみたいな文章」「ヘタな創作に血道をあげ」「まことスタイリッシュに去っていった」など。これを入れる塩梅がセンス。ユーモア。と思った。

 話のなかでセリフや言語化された思考の描写が極端に少ないのだけど、主人公・北町のレアな呟きがどれも凡庸なのも、良い。

(まあ、あれだ。人それぞれってことだよな……)

「――まあ、大したことじゃねえわな」

 など。大層な理想を抱え人生を捧げているけど作中に言葉として出てくる呟きがこれ、て良くないですか??????

 あと自分の活動が果たして清造の役に立っているのか、と気づくのが超おせえ(失礼)のも吹いてしまった。おせえ。

 冒頭、煙草に火を付ける描写が二度あったのでやたら吸うなと思っていたら、そのすぐ後で日に百本吸うという事に言及されていてワロタ。

 半私小説だろうから当然なのかもしれないが、なにしろ北町のめんどくさい人柄を表すエピソードに事欠かず、とにかくずっと半笑いで読んでしまった。文学に求めるオモロがそこにあった。

いくら書房

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