夫方の実家でフィギュアスケートのエキシビジョンを見た。
夫の法要のために土曜日から泊まっていたのだ。法要は今日の昼に無事終わった。なにが無事なのかは知らない。何回忌だったか正確に書こうと思ったが数え方がわからない。調べても良いのだが、調べたところで何なのだと思ったので調べないことにした。
亡くなってから四年目だ。それだけ覚えておけば良い、と言いたいところだがそれすら覚えてはおらず、子供の年齢から計算している。夫が亡くなったとき、子供は一歳だった。今は五歳だ。植木算は苦手なので、二、三、四、五と指折り数えると四年目ということが分かる。
正確には命日は明日だ。と言いたいところだが、正確な死亡時刻が分からないので命日というものが曖昧だ。二月二一日〇時前後、ということなので、ほんとうは今日が亡くなった日なのかもしれない。
私の父親は病院のベッドで亡くなった。私が入籍した日の数日後のことだった。
亡くなる時、すぐそばに医師が控えていた。心拍?が停止してから、医師が死亡診断するまでの間に数分のラグがあった。母が父の手を握って離れなかったからだ。私はずっとそのラグが気になっていた。分単位まで正確に、死亡時刻を決められたかった。
いまでも気にしている。死亡という事実がある以上、それについてどれだけありのままに知れるかというのが、残される側の私としての欲求である。
夫の死亡時刻は分からない。〇時前後である為に、日時だって曖昧だ。私はどうしてもそこに拘ってしまう。かといって、正しい命日にお参りしたいだとか、法要を行うべきだとか、そういった欲求があるわけではない。なぜならそれらの仏教行事はくだらないからである。
法要の間、私は今の自分が何を考えているのか見つめようとしていた。
まず気づいたのは、昨年までは「戒名」への怒りがあったが、今年はどうでもよくなっているということだ。「戒名」への怒りは亡くなった年から継続してずっとあった。そんな誰だか分からない名前の人間と結婚したわけではないとずっと思っていたからだ。名前も違う、死亡日時も分からない、骨ももう埋めてしまった、仏壇にある位牌はよそよそしく、なんのために喪服をきて坊主の声を皆で神妙にして聞いているのかが分からないのである。その無意味さへの反応が、昨年までは怒りだった。今年あるのは、退屈と、アホらしさだった。
数珠は毎回忘れる。忘れようとして忘れているわけではもちろんないが、基本的に興味がないのでそのままでいいという気持ちになる。だが義母が貸してくれるので、一応恐縮した面もちでそれを借りる。皆なんのために数珠を持つのだろうか。持つだけでそれらしい形になるからだろうか。
お布施に包んだのはいくらだったか聞かなかったが、とりあえず一万五千円を封筒に入れて義母に渡した。毎年そのくらいを渡しているが、毎年「それで良かったかな?」と思っている。
とか考えているうちに焼香が回ってくる。私が一番手だ。妻だからか、一番坊主に近いところに座っている。死亡時に知ったが、配偶者というのは葬祭ごとに関してめちゃくちゃに尊重される。結婚って相手が死ぬときのことを考えてするものなのかあと思う。
上の空だったので、焼香の回数が分からない。二回か三回だった気がする。足りないよりはいいだろうと言うことで、三回する。となりの義父に回すと二回だった。まいっか。これは全部ポーズなので、そこに正確さはいらないのだ。私が正確さを求めるのは、しつこいけれど死亡したという事実についてで、それが曖昧なままここまで来てしまった以上、他のことは全部アホらしい。アホらしさのなかでなんとなく求められることをやっている。
スケートの話に戻る。夫が死んだ季節の記憶とスケートが結びついている。子供が一歳のときに、テレビで羽生選手が水色の衣装を来て滑っていた。それに合わせて子供がくるくると回っていた。それを夫とほほえましく眺めたかという記憶は曖昧だ。眺めたかもしれないけれど、くるくる回っていたのは死んだ後だったかもしれない。
エキシビジョンは楽しかった。楽しい以上の感情はなかった。
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